サイレント・キーになった方の想い出

お亡くなりになった(silent key)OMについて記録しておきます

1. JA4AS/菊井昭雄先生
  耳鼻咽喉科のドクターが本業で、岡山市内で開業されていました。岡山DXGのメンバーとして一緒にDXを楽しんでいました。
  菊井先生が使っていたL-4B内の3-500Zが、G-Kタッチを起こして故障になった時に、私がG-K間にAC100Vをかけて
  3-500Zを復活させたのも懐かしい思い出です。私が20歳代、1973~76年の頃です。
  菊井先生が皆に声をかけて英会話のトレーニングを毎週やっていたのも懐かしい思い出です。
  当時の岡山DXGは非常にDXのアクティビティーが高く、横浜DXGと14MHzの制空権を競っていました。
  JA4AS、RF、ZA、AFT、BBN、DGG ・・・・・・  そういえば、JA3EMUさんもこの時期は岡山にいました。

2. JA4CX/川口敦巳さん
  高校時代の悪友?が「懐かしいファイルが見つかった」と送ってくれたのが1970年代なかば?にJA4CX川口さんが
  QSOしているのを録音したwavファイル。 多分、40歳代後半で、まだJARLの理事になる前の時期のようだ。
  実に、若々しくて張りのある声をしている。この頃に松江市で電話級取得の講習会講師を頼まれて、
  広島から松江に通い、 会っていたのが彼に会った最後の頃ではないかと思う。 昭和54年ごろか??
   晩年、JARL理事になった頃から、良い話を聞かないようになったが若かりし頃は、良い先輩だったと思う。
  高校の(アマチュア)無線部の顧問で、私が部長。卒業式の夜に酒の一升瓶を持って、
  訪問して皆で卒業の祝い酒を飲んだのも懐かしい想い出だ。
  US東海岸とSSBでQSOしているWAVファイル    ←クリックして聞いてね(^^)

3. JA4ZA/尾島一正さん
  岡山地場の民放局RSKをリタイア後は、83才でSKになった2019年春まで非常にアクティブでした。
  私が20才代(1970年代の半ば頃)に岡山DXGで一緒にDXを楽しんでいました。